賃貸を魅力的に見せるコツ
当時は学生運動花盛り、学校はロックアウトで休校ばかり。
べ平連活動を通しデモに参加し、勉強らしきものには縁がない。
大学3年のとき、クラブの同期生宮君(現在東京で公認会計士として活躍中)が公認会計士2次試験に合格しました。
最年少の合格です。
私も卒業するまで、何でもいいから国家試験を取ろうと思いました。
一番簡単な資格、『宅地建物取引主任者』なら、六法全書持込可能、一週間勉強すれば取れる。
そう思い、一週間の勉強で受験したら、見事合格しました。
この資格が、私の不動産業への就職のきっかけを作ったのです。
1972(昭和47)年卒業と同時に、大阪市にある株式会社Kに就職いたしました。
当時、別荘ブームでしたので、不動産業は湧いていました。
就職先を探していたところ、父親が「不動産屋になるんやったら、きつい所で修行しろ。」と言われ、父親の紹介で就職いたしました。
母親は公認会計士になる筈が、不動産屋になったと嘆いていました。
社長には独立したいので、3年働かしていただいて、1年お礼奉公といった形で雇って頂きました。
従業員6人の会社ですから乱自分の好きな動きができました。
仲介と建売の販売、わからないからがむしやらにやる。
おかげで成績は抜群。
初任給4万〜5万円ぐらいのときに25万円ぐらいでしたから、20歳前半の給料としてはかなりの額でした。
しかし、先輩に給料袋が横に立つ人がいました。
ただ、遊びも派手になっている先輩達を見ていると、あまりいいとは思いませんでした。
しかし不動産屋は、横のつながりが必要ですから、よく先輩不動産屋の人たちとは、交流を深める意味で飲みにいきました。
今でも共同で企画等を遂行するときは、そのときの仲間とも仕事をよくします。
入社1年が経った頃、不動産取引が司法書士事務所で終わった後、その司法書士の先生と雑談をしていました。
そのとき、その司法書士が非常に不動産業者のことを悪く、地位の低い業種と強調したのです。
そして本人は何回か試験を受け、苦労して司法書士になったことを強調し、いかに地位が高いかを言いました。
私は、夢を持って最高の不動産業者になる為、1年無休でやってきたのにと腹が立ってしかたがありませんでした。
すぐその先生に「私も司法書士試験を受けます」と切り返しました。
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